

こんなことはめったにない、前回のコラムを書き上げたころ、知り合いの中国人から連絡が入った。「来週、王冬齢が東京に来て揮毫するのを知っている?」。えっ、本当?いま原稿を書いたばかりの人なのに、と驚いたが、ともあれ会場である東京・飯田橋近くの日中友好会館に出かけたのが先月24日だった。

当日は中国の現代書の巨匠、沙孟海の生誕125年を記念した催しがあり、そのハイライトとも言えるのが王冬齢の大作揮毫。アップル杭州店を飾った巨大作品などでよく知られる大家とはいえ、書を書く現場を筆者が見るのは初めてだった。

高木聖雨、和中簡堂、井谷五雲ら日本側の書家、印人らも見守るなか、王さんは床に敷いた大きな紙に、筆管長い、特注みたいな筆の末端を握り、李白の詩「夫れ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり……」を右端から狂草で書いていた。

字間、行間がゼロで、文字が重なる箇所もあるのでとても読めないが、筆のトメ、ハネの箇所で観衆から合いの手が入り、会場は次第に熱気に包まれていく。やがて墨線の絡まりでびっしり紙面に覆った作品が完成。それはジャクソン・ポロックなどアメリカの抽象絵画に通じてるものがあり、しかしそうでありながら作家本人は漢詩を書いているという鑑賞側との意識のズレが興味深い。現代書と現代美術とがクロスするのを目の当たりにする思いだった。
———— 2025年6月18日読売新聞「書道コラム専欄」掲載記事(编集委员·菅原教夫)

